「魔法の長靴」
6年生諸君は、そろそろ進路について悩む頃ではないだろうか。私自身、年に
数回は学生から聞かれる。「なぜ外科に入ったのですか?」 消化器も外科も、
とりたてて興味を持った分野ではなかった。消化管は身体の外だと思っていた
し(これは正しい)、肝臓は単細胞の集まりだと信じていた(これは大きな誤
りである)。その私がなぜ消化器外科医をやっているのか。これは、ラグビー
とは無縁の事柄ではないので、今日はその話をしようと思う。
その昔、ラグビー人気がまだ高かりし頃、松尾雄治というプレーヤーがいた。
彼は東京の目黒高校から明治大学へと進んだ名スタンドオフであり、日本では
未だに彼以上の才能にあふれたスタンドオフは出ていないように思う。彼は大
学時代すでに一流の選手であったが、彼を日本を代表する選手に育てたのは、
就職した新日鉄釜石だと私は思う。では、都会育ちの彼が、岩手の片田舎の鉄
工所になぜ就職したのか。
彼は最初、釜石に入社するつもりなど全くなかったのだと言う。しかし、大
学4年の夏の終わり、大学の2年先輩である森重隆(日本代表のセンターとし
て活躍した名選手)に「冷やかしでいいから一度見に来いよ。」と誘われ、先
輩の顔を立てるべく釜石を訪れた。すでに鉄工所は縮小され、それ以外に大き
な産業もない町は、やはり彼の目には、とても自分の住む場所としては映らな
かった。数日間、彼は会社を案内してもらったり、ラグビーの練習に参加した
りして過ごしたわけだが、田舎の人達の素朴な人柄に接し、それなりに魅かれ
るものもあったが、そこが自分の住処になるとは到底思えなかった。東京へと
帰る日、みちのくでは秋風が吹き始め、もうここに来ることもないだろうと思
いながら、彼は駅のプラットホームで電車を待っていた。そこに数日間世話に
なった鉄工所の人達(それにはラグビー部の人達やそうでない人達も含まれて
いた)が、彼を駅まで見送りに来てくれたのである。彼らの格好は、作業服で
ゴム長靴を履いたまま、というものだった。彼は、ホームに立ち、会社の人の
長靴に目を落としじっとみつめた。そして、次の瞬間に深く頭を垂れていた。
「よろしく、お願いします。」松尾の新日鉄釜石入社が決まった瞬間である。
私はこの話を大学時代に雑誌で読んだのだと思う(細部が脚色されているこ
とをお許し願いたい)。頭を下げた時のことは、頭の中が真っ白になり、よく
記憶してもいない、と松尾は述懐していた。しかし、私には松尾の気持ちがよ
くわかったし、この話を読んで彼の感性、人間性を大きく見直しもした。そし
て、自分も将来、こんな「長靴」に出会えたなら、と漠然と思っていた。
さて、私自身のことに話を移そう。大学6年の冬休みも終わり、私は卒業時
に結婚することは決まっていたが、就職先は2月になっても決まっていなかっ
た。しかし、候補がいくつもあったと言うわけではない。循環器内科に進もう
と思っていたのだが、意思表示を明確にするのを引き伸ばしていただけのこと
だ。そんなある時、基礎のO教授から、新しく来た外科のK教授が入局者が決
まらず非常に落胆している、という話を聞いた。K教授は、前年秋田へ赴任した
ばかりの若くてバリバリ、知識、経験、頭髪ともに豊富な教授で、弁舌も爽や
か、外科志望者の多くがK教授の教室に入ると目されていた。しかし蓋を開け
てみると、他の外科には入局予定者が4、5人ずつ決まっていたのに対し、K教
授の教室には1人という意外な状況だったのである。その話を聞いた時の私の
気持ちを表現するのは何とも難しい。伝統のある大きな大学に引けをとらない
外科を作るべく、やる気を漲らせ新任地へ来たK教授、しかしそれに応えない
学生達、そして宙ぶらりんの自分。私は次の日、K教授に会いに行った。しかし、
この時点で私は入局を決めていたわけではない、と思う。K教授は私に向かって、
外科の将来、秋田大学の将来などについて熱く語ってくれた。申し訳ないこと
に記憶に残る話は何ひとつないのだが、口角より泡を出しながら(実際はそう
でなかったかもしれません、すみません)、熱心に語るK教授の様に、私の心
の琴線に触れる何かがあったのだと思う。「何か聞きたいことはあるかね?」
終わりにK教授は私に尋ねた。「私の結婚式に、先生は出ていただけるのでし
ょうか?」
その時、私はK教授が長靴を履いているのを確かに見たのだった。しかし入
局後、あれは幻だったに違いないと何度も思うことになった。そもそもK教授
は落胆などしないのであるから、基礎のO教授の話からして疑わしい。しかし
私は、幻であれ長靴を見たことを今もとても幸福に感じている。正しい道に進
んだとの確信もないが、外科に入って後悔したことも一度もない。
松尾が入社した後の釜石については、今更説明の必要はなかろうと思う。今
の神戸製鋼と異なり、釜石フィフティーンのほとんどは地元の高校出の選手で
あった。森や松尾らのごく少数の大学出の選手がリーダーシップをとり、一流
たらんとする熱い心を持った無名の高校生が次第に一流の技術と体力を身に付
け、日本を代表するプレーヤーに成長していく。決して浮かれることなく、常
に足元を固めながら進む彼らに、大きく影響されたのは他でもない、森や松尾
らであったろう。そうして無敵の軍団は作られていったのである。私が目標と
する医局は、この釜石の姿に他ならない。
後輩諸君にも「長靴」を見つけて欲しいと思う。出会いは一瞬である。それ
は正しいこともあるし、誤りのこともある。しかし、誤りだからといってそれ
ですべてが終わるわけではない。大切なのは、何をやるか、よりも、どうやる
か、である。自分の選んだ道を自分を信じて邁進する。その大切さが、将来、
諸君にもきっとわかるはずである。
(2000年5月記)