「知的体育会系のすすめ」
内科と外科の違いについて、古今東西を問わずさまざまな議論が戦わされて
きたはずであるが、どういうわけか普遍的な、というか万人が納得するような
すぐれた論考に出くわしたことがない。時代とともに内科も外科も変貌を遂げ、
いくつかの領域ではその境界すら不鮮明になっている現在では、内科とは何だ、
外科とは何だと問うこと自体、意味をなさなくなってきている部分があること
も事実である。しかし、医師になる際には、依然として内科は内科であり、外
科は外科である。内科に入って「自分は外科医です」などと主張しようものな
ら、(村上春樹的表現をすれば)蝿が蝿叩きをみるような目で他人に見られるこ
と請け合いである。だから、就職前には皆考えるのである。内科と外科の違い
は何なのだろうと。
物事にはいろいろな見方があるし、細かいことを挙げだせばきりがあるまい。
私の考えはどうかというと、極めて単純なものである。内科は個人的医業を営
むものであり、外科は集団的医業を営むものである、ということである。つま
り、内科は基本的に個々の医師が患者の治療にあたる形態をとり、検査から治
療まで、その成果は個々人の力量に負うところが極めて大きい。○○グループ
などと称しチーム医療をしているようにも見えるが、それは見せかけに過ぎな
い。したがって結果に対して責任を負うのは常に主治医たる個々人であり、個々
の力量の差はいろいろな形をとり次第に歴然としてくるものである。
外科はどうか? 外科医は、その好むと好まざるとにかかわらず、チームを
作って医療をしなければならない。緊急手術を含めた治療方針の決定、何があ
るかわからない、手術についての患者と家族への説明、そして外科の根幹をな
す手術は無論のこと手術後の管理など、一人ですべてやるには荷が重すぎる。
性格的にワンマンな外科医も少なくはないが、それでは自分を向上させる努力
を怠るといつまでも進歩がない。単独で自らを進歩させることは実は容易では
なく、したがって真のチーム医療と比較してワンマンな外科医の到達点が低い
のは目に見えているのである。
だから個人の能力や努力の量に依存する内科医には確かに名医は存在する。
しかし外科に名医という言葉は本来ない。外科の本質はチーム医療であり、外
科の到達点はチーム全体が目標とする地点であり、すなわち好チーム、名チー
ムと呼ぶべきものが外科である。確かに手術の名手は存在するが、その人のみ
では良い外科とは言えない。その人をいろいろな形で支える人がいて初めて良
いチームができる。チームは、単一な構成員の集合体である必要はまったくな
い。むしろ、いろいろな考え方をする人がいてこそ、いろいろな事象に柔軟に
対応することができる。あるいは毛利元就の三本の矢を思い起こすとよい。個
人でできることは限られているが、チームでできることはその先を行くはずで
ある。個々人が、その時々での自分の役割を理解し、その役割をきちんと果た
すことでチームはまとまり、チームのレベルは向上する。チームのレベルが上
がるにつれて、個々人もいつしか自分のレベルを上げることができる。そして、
よいチームからはすぐれた外科医が多く輩出される。
さて、今日の話はどうやら先がみえたようだ。最初に言ったように内科とは
外科とは、というすぐれた論考はないのである。あるのは独断に満ちた、自画
自賛的な言種のみだ。協調性のない人間でもよい。手先がそれほど器用でなく
ともよい。外科をいれる器は限りなく大きい。"よいチームで自分を磨きたけれ
ば、迷わず外科に入ればよい。"
(2000年8月記)